冬に一幅の絵を知る、ということは、
さながら、
真新しい雪の原に、
ひとり歩みを進めるようなものだ。
倒れた木々の枯れた枝々の色合いが
実りの頃の思い出を開き
ところどころ見え隠れする幼い芽の鮮やかさが、
萌え立ちの時を予感させてくれる。
冬に弦の調べを聴く、ということは
さながら、
古い日記帳を読み返すようなものだ。
夜更けにひとり、
かつての「私」に読み耽り、
夜明け前、新しい頁にたった一行、
今の「私」を綴る。
冬に人と知り合えば、
待つことが喜びに変わる。
傍らを行き過ぎていた時が
窓明かりにほのかに照らされて
ぬくもりを保ちながら
あたりに幾つもの同心の円を描く。
ああ、冬を越えることを
怯えながらも受け入れよう。
たとえ、
「私」という
重ねられていく澱に足を取られている者にとって
「乗り越え」が
さらなる重荷となるとしても。
今は冬の時代です。季節だけではなく、誰もが冬をわが身に感じています。
でも、冬は味わい深い時であり、芽吹きに向けてたくわえる時代でもあるのです。
たとえ冬を乗り越えたとしても、さらなる重荷を背負うかもしれません。
しかし私たち人間は、それをも背負いつつ、生きていこうとしています。