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大津詩音研究所の歴史

大津詩音研究所のはじまり
母の神経痛から始まった大津詩音研究所

父母はそれぞれの学校を退職し、新たな道を歩み始めました。父は地域の観光ボランティア活動に、母は家事労働にいそしむようになりました。しかし急に家ばかりに居るようになった母に、神経痛が出ました。私が自彊術を教えたところ、その痛みが消えたのです。多分血行不良になりかけていたのでしょう。初期の段階だったのが幸いしたようです。母は「自分も自彊術を習いに行く」と言い、その後10年間教室にまじめに通い続け、ついに教室を開けるようになりました。もともと小学校の先生だったので、教え方が上手であったのかもしれません。次々に生徒さんに恵まれ、ついに5クラスにもなりました。

自彊術を習いながら、彼女は俳画も習い始めました。これも50歳の手習いでした。やはり10年頑張ってドイツで個展を開くことができました。俳画は俳句に絵を付けるので、俳句、絵、そして習字が出来なければなりません。これらも習得して、教室を開くことになりました。

 母は小学校の音楽の先生でもありましたので、家で歌の教室も開きました。難しい歌曲ではなく、カラオケ教室です。しかしカラオケと言っても、むやみに歌うのではなく、発声をし、また楽譜に則って歌いました。「初講の日の事は忘れられない」と言います。と言いますのは、父が一番前に座っていたからです。母は父に教室開講について特に何も言っていませんでした。父は歌がとびきり下手なので、相談もしなかったのです。しかし父は生徒になろうと決意し、妻の教室の初講の日に門をくぐったのです。夫が妻の弟子になる、ということは今の若い夫婦ではなんということはないかもしれませんが、大正生まれの父が母の弟子になるなんて、信じられない光景でした。

 父は言いました。「第二の人生を始める以上、今までのように偉そうにしていたら、男もあかんねん」と。

 父は漬物を漬け、外の掃除をし、駅前の掃除にも出かけ、そして母の弟子にもなったのです。以前から歌が上手になりたかったのですが、しかし学校長という激務にそれも叶わず、趣味一つなかったのでした。それからは二人仲良く、新しい人生が開かれていきました。

教室が多くなってきたので、町の体育館や公民館を借りるだけでは足りなくなり、ついに小さな学校を建てました。それが「大津詩音研究所」です。リンデンは、リンデンバウムのことです。シューベルトの歌曲集「冬の旅」にある「リンデンバウム」です。また、種類が異なるとはいえ、「菩提樹」のこともリンデンバウムと言います。インドの「菩提樹」の下で、お釈迦様が悟りを開かれました。こうしたことから、西洋と東洋の融合という意味を持たせて、「大津詩音研究所」と名を付けたのです。
大津詩音研究所で講習していた内容

自彊術は、日本の呼吸法にストレッチを入れた体術です。いろいろな流派がある中で、母は日本自彊術普及会からお免状を頂きました。先ず筋肉をほぐし、呼吸法を入れ、それと同時に意識を身体の各部に届けるように、身体を動かす。日本人が考えただけあって、日本人に合った体術だと思われます。

俳画は、俳句に絵を施しますが、一筆で描かなければなりません。なぞり書きができないのが特徴です。また、俳句に付ける絵も、季節は同じでも、同じ物は描けません。例えば紫陽花の俳句に紫陽花を描いてはいけないのです。日本人は、くどくなるのを好まないからです。いかにも日本人らしいですね。そういった事をドイツ人に分かってもらうのは一苦労ですが、季節の感じ方には似たところもあって、俳画による文化交流は興味深いものでした。

カラオケ教室ですので、演歌や童謡を歌いました。発声をしてから、楽譜を見て、また耳も鍛えました。踊りも付けて、健康福祉施設に行って、みんなで踊ったり歌ったりしました。教室の皆様からの体験談を募り、教室の歌ができました。

歌声を花束にして

原案   リンデン・カラオケ部体験談
作詞作曲 金子瑞穂

あの歌に励まされ
この歌に諭されて
生きてきた、歌を友として
思い出をありがとう
一人寂しく立ち尽くす日に
そっと明日へ背なを押す
そんな歌、歌がある限り、
生きていける、どこまでも
歌声の花束を

あなたに贈りたい
淡いピンクのリボン、
カード添え
あなたにありがとう
一人傷つき泣き濡れた日に
そっとその手を差し出した
そんなあなた、あなたいる限り
生きていける、いつまでも。
あなたにありがとう

1991年ドイツでの俳画会開催
島本自彊術10周年記念大会
父と母が始めた自彊術 1997年10月に10周年を迎える
「天行健なり、君子は自ら彊めてやまず」 自彊術は日本人が考案したものですが、その名は「天行健以君子自彊不息」から名付けられました。小さな輪が大津詩音研究所で出来、その輪が広がって仲間と共に自彊術を行い、大会までできるようになりました。吉田病院院長吉田洋先生、何度もご来阪いただきました二宮恒夫師範には本当にお世話になりました。厚く御礼申し上げます。

自彊術10周年には記念誌もでき、イメージソングもできました。 記念誌には、たくさんの思い出や、体験談も寄せられています。元気になったお話や、お友達が出来てうれしかったお話です。それらが読まれて、又仲間が増えていったようです。
自彊術イメージソング

原案   自彊術10周年体験談
作詞作曲 金子瑞穂

真新しい一日
朝露のやどり
蕾のように開く心と身体
いくども繰り返されてきたいとなみの中で
私は花になる
白くきよらな
風吹き渡る空
晴れた日のおとない

一日の終わり
過ぎ去った日々の
温もりを抱いた心と身体
いくども繰り返されてきたいとなみの中で
私は言葉になる
人に優しい
色鮮やかな空
陽に捧ぐ祈り

父が内閣総理大臣賞を受賞
父と母の想いを大津詩音研究所へと受け継ぐ
「学校を出た人の学校」への想い
父と母は、「学校を出た人の学校」を建てました。戦中世代にとって学びは、夢でした。学校を出てから、家のために働くこと、子育てをすること、社会を戦後復興させ日本の経済を立て直すことで、みんなの人生は、「いっぱいいっぱい」だったのです。自分の学びは、二の次でした。例えば、母は戦中世代のため、英語を知りません。英語は敵性語だったからです。しかし彼女は海外で俳画個展を開けるようにまでなりました。

父と母は、「学校を出た人の学校」を建てたのです。学びたいことを、一生懸命に学ぶために。学ぶことに二の足を踏んでいる人を勇気づけるために。そのためにまず必要なことは身体が元気なことです。自彊術は、本当にみんなを元気にしてくれました。

今私は、もう一度、大津詩音研究所を建てようとしています。父と母の頃とは教育の現場も変わりました。学校を出ること自体が困難な人々、学校だけでは健康になれなかった人々が、増えています。 そんな人々の為にも、知育だけではなく「本当に健康になれる学校を作りたい」と思っております。
集大成になる講演とドイツクリスマス開催

大津ヴュルツブルク奏楽会は、私が大津に越して来て名付けました。それまでは日独抒情詩の会と称していた小さな市民団体です。大津市とヴュルツブルク市が姉妹都市だと知って名付けました。ドイツに留学しました折、皆様に親切にしていただき、その恩返しのつもりで活動しています。私の好きな詩は、リルケの「音楽は立像がもらす吐息か」です。

音楽は立像がもらす吐息か。或いは
   絵の持つ深いしじま。全ての言葉が終わるところに
   初めて響く言葉。私たちの消えゆく心の方向に
   垂直に立つ時間

詩と音楽に関する活動をする時には、いつも思い浮かぶ先人よりの贈り物です。この小さな奏楽会の活動が、すこしでも皆様方の癒しになれば、と思っています。

古典の世界に学ぶライブコンサートなども開催
次の世代へ
次の世代へと受け継がれてゆく想い

次の世代へと受け継がれてゆく想いがあります。
次の世代へと発展してゆく夢があります。
それが「リンデン体操」として結実しました。

わずか30分の体操です。誰にでもでき、誰もが学べる体操です。この体操で、日本古来の呼吸法がマスターでき、日本古来の発声法を実行できるようになりました。テクニックの習得だけをめざしていても、この法をマスターすることはできません。でも楽しくみんなで或いはお一人で、ご自分と対峙してやってみてください。きっと心と身体の目が開かれていくことでしょう。

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